はとむぎ。の人生メモ

思いを言葉に。言葉を形に。

人生はやりたいことをやったもの勝ち

どうも!はとむぎ。です!

もうすっかり冬の寒さに近づいてきましたね〜。

こたつを出そうかと思う今日このごろです(´Д`)ハァ…

みなさんはもう冬支度はお済みでしょうか?

私はやらないといけないと思いつつ、面倒くささに勝てず寒さに耐えております、、。

こういう時って、後になればなるほどもっと早く準備すればよかったと思うんですよね(・_・;)

 

 

さてさて、そういうわけで今回は後悔について話していこうかと思います。

当たり前ですが、誰しも後悔なんてしたくないですよね?

わざわざ、自分から後悔をしようと何かを始めたり、行動なんてしないと思います。

後悔するのがたまらん、、最高、、(*´Д`)ハァハァ

そんな人はごく一部の変態じゃないかと笑

 

なぜ今さらそんな話をするのか?

それは、私が多くの人の人生という最後を見届けてきたからです。

私は高齢者施設で働いていますが、そこには長い人生を歩んできた方がたくさんいらっしゃいます。

そして、亡くなるまでその施設内で暮らしをするのです。 もちろん、場合によっては病院で息を引き取ることもありますが、最後は施設に戻り看取りをしたいという家族の希望は多いんです。

施設で働いていると、人の「死」というのはすぐ近くにあります。

亡くなる理由は様々です。

例えば、老衰で静かに息を引き取ることも、昼間まで変わりなかったのに突然の急変で亡くなることも。 転倒して頭を打ち出血多量で緊急搬送突然の吐血など挙げればキリがありません。 食事中も死の危険性はあるんです。 高齢者となると食事中に窒息する場合も珍しくはないんですよね。

 

そういった中で看取りという形で、入居者さんを支援することは多々あるんですね。 看取りというのは、もう命が長くはないでしょうと。いつ亡くなってもおかしくはない。

医師から判断された場合に、看取り期として切り替わります。 終末期ともいいますが、人生のほんとに最期ですよね。

医療福祉関係者であれば、そういった方はたくさん関わるかと思います。

ただ、そのような現場に携わらない方はイメージが湧きづらいのではないかと思います。

私が看取りを経験してきた範囲での感覚ですが、、

あ~、、命の灯火がまさに終わろうとしているんだな

と本当に感じるんです。

 

蝋燭ってってありますよね。

私はそのイメージなんです。 蝋燭って最初は炎も長く真っ直ぐで力強さがあります。 しかし、最後のほうは蝋燭も溶けすっかり小さくなり、炎もゆらゆら、今にも消えそうな、、

 

私は、看取りの方を支援していると本当にそんな風に感じるんです。 そして、静かに呼吸が止まる瞬間も見届けたこともあります。 見回りに行ったら、息をしていなかったということもあります。 家族が泣いている中、一緒に最期を看取ったこともあります。

 

そのように人が死ぬということ、人生の幕が閉じるということ、それを見るたびに思うことがあるんです。

 

この人はどんな人生を歩んだのだろうか。

どんな考えで人生を生きてきたのだろろうか。

楽しかったこと、辛かったこと、幸せだったこと、この人はどんな日常を過ごしてたのだろうか。

長い人生で最後は後悔なく旅立てたのだろうか。

色々あったかもしれないけど、人生を振り返って満足できてたのだろうか。

 

そのような経験をする中で、自分の人生について真剣に考えることは増えました。

そした、出た結論があります。

 

死ぬときに後悔はしたくないということ。

失敗とか成功とか関係なく、自分の命を精一杯に生きれた。 

そう思える人生にすると。

 

もしかしたら、ありきたりなことかもしれません。

ただ、たくさんの人の最期を見てきた。 

人生の本当に終わりというのを肌で感じた。

その経験は、心の底から私の人生観を変えました。

だからこそ、本気で精一杯生きたい。 そう思えるんです。

 

話が長くなりましたが、ここでもう一つだけ後悔についての話をさせてください。

冒頭にも話しましたが、人間というのは誰しも後悔はしたくないと思うのが自然なことなんですね。

これを「後悔回避バイアス」ともいいます。

そして、その後悔というのは短期的なものと長期的なもので何に後悔するのかが違うんです。

なんだと思いますか?

 

人は短期的にはやってしまったことや失敗したことに後悔するのに、長期的にはやらなかったことに後悔をするんです。

 

なんだか矛盾してるようにも思いますよね。

ただ、これって例をあげると

 

あなたに挑戦したいことがあるとします。

それは転職でも起業でも、好きな人に告白するとか、どこかに旅行に行くでもなんでもいいんです。

意を決して挑戦したとしましょう。

しかし、何かトラブルが起きたり上手くいかなかった。

その後ってどういう感情になるでしょうか。

おそらく、、、

 

「こんなことやらなければよかった 」

「もっと違うことができたんじゃないか」

 

そうように失敗したことに対して自分を責めたり、絶望感を感じるのではありませんか?

一度はそんな経験はあるかと思います。

 

では、これに挑戦しなかった場合ではどうでしょう?

やりたいことがあるが、失敗が怖い。

家庭の事情でそんなことはできない。 

やれない理由はどんなであれ、歳を重ねててしまいました。

そして、いざ自分の人生が残りわずかと気づいたとき。

 やりたいと思ってから何十年も過ぎてしまったとき。

 

「あのときやっていれば成功していたかもしれない。」

「なんであの時に挑戦しなかったんだ。」

「あと10年でもいいから戻りたい。」

 

このように思うのではないでしょうか。

これって聞くと 不思議なことではなく、それはそうだろうと思うかもしれません。

しかし、自分の人生を振り返ったときに心から後悔なく満足できる人はどれほどいるでしょうか?

 

実際に死が近づいている人に、 「人生で後悔していることは何か?」 ということを聞くと、一番多いのが自分のやりたいことに挑戦しなかったことだそうです。

 

興味のある方は、いま言ったようなことについての本や研究結果は検索すれば出てきます。

 

これらを踏まえ、タイトルに繋がるわけですが 人生はやりたいことをやったもの勝ち。

ありきたりな言葉がですが、ただ知っているということではない。

たくさんの人の最期を見てきた。

人間の心理とは後悔を避けたがるもの。

だからこそ、失敗が怖くてやりたいことができない。

しかし、歳を重ねるとやらなかったことが後悔になる。

いくら悔やんでも時間は戻らない。

ただただ、やっておけばよかったと後悔しながら死に向かう。

そんなのは私は絶対に嫌です。

 

みなさんは今までやりたいことをやれましたか?

これからやってみたいことはなんですか?

今の生活に心から満たされていますか?

 

最後になりますが、私が好きな言葉を。

最後まで読んでいただきありがとうございました(*´∀`)

 

 

今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。

ゆえに、もやい綱を解き放ち、安全な港から船を出し、貿易風に帆をとらえよ。

探検し、夢を見、発見せよ。

【トムソーヤの冒険】著者 マーク・トウェイン